フィリピン留学 日本語教師

初めは英語が話したかった

中学高校と、英語だけは成績良かった私。
常にテストは90点台だったし、他の教科はつまらないのに英語だけは楽しんで勉強できていた。
でも、学校でいくら勉強していてもそれは机上での知識なだけであって、実践で身に付いたものではない。
私はちゃんと英語が喋れるようになりたかった。

 

なので、留学することにした。
高校を卒業してすぐ、行き先はフィリピンのセブ島。
セブ島と言えば語学留学でも人気の所で、どちらかと言うと短期留学で行く人が多いけど私はほぼ1年間行っていた。
もしかしたら大学受験するかも…と考えていたので、入試の時期には帰ってきたけど、結果的に受験せずまたすぐセブ島へ。
何故なら、セブ島生活が楽しかったから。

 

留学の成果と言えば半年で日常会話はペラペラレベルになってた。
日本人が英語を喋るのに一番気にしてしまうのは発音だと思うけど、これは本当に恥ずかしがらずに喋って喋って、自然と慣れていくしかない。
いくらネイティブに目の前で正しい発音を聞かせてもらってその場でリピートはできても、いざ会話で再現できるかと言えば無理。
でも英語でしか会話できないんだから、とにかく喋るしかないし、発音も勝手に上達していく。

 

いくら日本でネイティブのいる英会話教室とか通っても、英語を使うのなんてその教室にいる時だけでしょう。
外に出れば聞こえてくるのは日本語だし、その教室にいたって日本語が全く耳に入ってこないなんてあまりないんじゃなかろうか。
そんな環境じゃ余程の秀才じゃない限り英語を喋れるようになんてなれっこないと思う。
日本人がきちんと使える英語を喋れるようになるには、やっぱり留学しかないです。
英語を喋れるようになりたいなら、だらだらと長い間、大して成果もない英会話教室に通うより、少し覚悟を決めて留学しましょう。

セブ島でバイトを開始

留学中にお世話になっていたのは寮。
当然家賃や光熱費などの生活費は留学費用に含まれてた。
けど、一度日本に帰ってまた戻ってからは、部屋を借りなければいけなかった。
部屋が見つかるまでは現地の友達の家に居候させてもらって、確か2週間くらい不動産屋めぐりをしてたと思う。
結局不動産屋では見つからず、友達の知り合いづてに紹介してもらって、2世帯住宅みたいになってる一軒家の2階に住むことになった。
当然、ここからは家賃を毎月払わなきゃいけない。
でも高校生の頃の貯金は留学でほとんど使ってしまったので、部屋の次はバイトを探すことに。

 

バイトに関しては、留学中に住んでた寮の掲示板に色々求人が貼り出されてたのを思い出して、あっさり見つかった。
日本食レストランのウェイトレス。
やっぱり日本人観光客が多く来るらしくて、日本語喋れる人材は何人でも欲しいって状況で、面接も日本人ってだけで即採用された。
時給は200ペソ。
日本円にすると大体400円ちょっとってところかな。
やっす!って思うかもしれないけど、セブ島の時給はこれくらいが普通。
物価も安いし、どこか外食に出かけても、5〜600ペソも出したら相当良い物が食べられるくらいなので。

 

ちなみに、もし留学期間中だったら、このバイトは選ばなかったと思います。
日本語話す時間を増やしちゃったら英語上達に支障が出るので。

 

そんな感じで働き始めた日本食レストラン。
まかないはもちろん和食で美味しいし、日本人のお客さんは多いけど色んな国から来てる観光客の人とも話せてめちゃくちゃ楽しかった。
そして、そこで知り合ったアメリカ人に頼み込まれて、もう1つ仕事をすることになりました。

もう1つの仕事は日本語を教えること

そのアメリカ人の名前はミシェル。
歳は6つ上で、現地の米系企業で働くばりばりのキャリアウーマンだった。
日系企業の取引先が増えてきているとかで、日本人担当者が既にいるけど自分も少しは日本語をわかるようになりたいから教えてほしい、ってことだった。

 

バイト先の常連さんで、お客さんがまばらな時はよくお喋りしてたからお互いの人となりもわかってるし、やりやすいかなーと思って快諾。
その時は特にお金の話はしてなかったし、まぁ暇つぶしのボランティア感覚でやればいいかーと思ってた。
が、いざ始めてみると、教えるのってかなり難しい。
ミシェルは形式ばった授業をしようとはしなくて良い、英語を交えて説明しながら普通に会話してくれるだけでも十分って言ってくれてたけど、自分が納得できなかった。
そんな感じで月に10回前後、時間で言ったら30時間くらい教えてた。
すると、最初の1ヶ月が終わったタイミングでミシェルから、お礼として15,000ペソも渡された。
ボランティアのつもりだったし自分の教え方に納得できてなかったのでかなり戸惑ったけど、会社から出てるお金だからと説明されたのもあって受け取らせてもらった。
その分、もっと日本語を身につけてもらえるように頑張ろうとも思った。

 

ウェイトレスと、まがいなりにも日本語教師として2つの仕事をして半年経つかどうかの頃に、ミシェルから想像もしていなかった提案をもらった。
それは、ミシェルの働く会社に就職しないかと言うもの。
仕事は日系企業とのやり取りの担当と、週に2回の日本語授業。
私なんかが本当に良いのかなあと思ったけど、熱心に誘ってくれるものだからオッケーしました。
ただ、日本食レストランを辞めなきゃいけないのは寂しかった。
優しくしてくれた店の人たち、常連のお客さんたちと会えなくなると思うと…。

初めての社員としての就職

話をもらってから1ヶ月後、初出社。
ミシェルと一緒に何度か食事に行った人たちがいるから、思ったよりは緊張しなかった。
最初は先輩日本人社員に色々と教わる。
日本から出張してきた人たちの来客対応が主な仕事のようで、簡単なお茶出しと書類配りとかから始めていった。
1週間ほどで簡単な研修は終わり、自分だけで対応することも増えてきたけど、大きなミスもなく順調にこなせたので一安心。

 

そして、日本語授業の仕事。
これについては会社としても初めてのことだったらしく、先輩社員も全くノウハウを持っていなかった。
会議室で10人ほどを相手に、ホワイトボードを使っての授業。
本格的な日本語教師としての仕事はわからないことだらけだったので、色々調べて予行演習もたくさんした。
けど、やっぱり最初からそんな上手くいくわけもなく、授業に参加してる社員たちの多くは?マークだらけだったと思う。
それでも文句1つ言わずに毎回来てくれてすごく嬉しかった。
その熱意に応えるためにも、ちゃんと日本語教師の勉強をしなければダメだと思いミシェルに相談して、一時帰国させてもらうことにした。

 

日本では、日本語教師についての勉強。
と言ってもお金はそんなになかったので、参考書を買って実家でひたすら独学してた。
勉強しているうちに、英語を交えて日本語を教えるやり方を間接法と言ったり、ちゃんと自分なりのやり方も間違っていたわけではないこともわかって少し安心したりもした。
そして、せっかくだから資格も取っちゃえと言うことで、ちょうど帰国中に行われた日本語教育能力検定試験を受験。
年に1回しかないってことで落ちたら嫌だなーと不安だったけど何とか合格できて、その後まだセブ島へ。

 

ちなみにどんな試験かって言うと、日本語教師の資格として見なされている唯一と言って良い試験。
他にも420時間講座だとかあるみたい。
詳しくは「日本語教育能力検定試験」って検索するのが一番早いので、してみて下さい。

資格所持者としての自信とその後

試験に合格して資格所持者となってからの授業は、社員たちからも見違えるほど良くなったと言われて好評に。
授業がきっかけで日本語、そして日本が好きになったと、日本に旅行に行く社員もいたほどだった。

 

ミシェルの会社で7年働いた後、日本に帰国して実家のある福岡でフリーの日本語教師として働いた。
主に日本に来ている留学生を対象に教えていて、福岡だけでなく九州の高校や大学を回る生活。
と言ってもそこの校舎で授業はせずに、近くの貸し会議室でがほとんどで、にも関わらず毎回多くの留学生が参加してくれてありがたい限りだった。
今は結婚して専業主婦だけど、またいずれ日本語教師はやりたいと思ってる。

 

ミシェルとの出会いがなければ、こんな人生にはなっていなかった。
人に教える楽しさを知れて、感謝してもしきれない。
今もたまにLINEで連絡していて、ミシェルが取引先との商談やらで日本に出張に来る時は、タイミングが合えば会ったりもしてる。
結婚せずに今なおバリバリのキャリアウーマンとして働く彼女を見ていると尊敬するし、自分も働きたくなってくる。
これからも良い関係を続けて、一生の親友でいられたら幸せだなぁと思う。

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