明治末期、国内が日露戦争の勝利に沸くなか、セントルイス(米国)万国博覧会に日本の地理模型出展の指揮官として、釜瀬新平先生が渡米されました。
そこで、日本の男性以上に活躍しているアメリカの女性たちの姿に驚嘆され、多大な感銘を受けられました。その感動を即座に日本における女子教育の必要性に結びつけられた釜瀬先生。ここに先生の魂が伺えます。
帰国後は、「社会貢献できる女性の育成」を教育の大目標に掲げられ、博多湾を一望する荒津山(西公園)の麓に女子高校(高等女学校)を創立。ここに我が国の範ともなる女子教育の発展の基礎を築かれていったのです。「社会に貢献できる女性の育成」は、現在においても輝ける理念となっております。まさに「先見の明」をもって開学に邁進されたのです。
創立から1世紀。数多くの魅力ある女性たちが社会へと巣立っていきました。創立者の思いが結実した「強く、正しく、優しく」の校訓は、教育のあり方が時代とともに変化しようとも、脈々と受け継がれていくことを確信いたしております。私たちの一歩一歩は、これからも日本の女子教育の歴史に刻まれていきます。
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| 連合体操大正13年(1924年)。創立17周年を祝って、全校生徒800名の体操。後方の校舎は木造3階建ての本館で、3階は図書館。 |
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西公園での卒業記念のスナップ昭和9年(1934年)。校歌にも謳われている荒津の山は、大濠公園とともに、学校生活の中でも忘れられない存在。 |
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沿革
1907(明治40年)
1911(明治44年)
1916(大正 5 年)
1922(大正11年)
1926(大正15年)
1927(昭和 2 年)
1945(昭和20年)
1948(昭和23年)
1951(昭和26年)
1957(昭和32年)
1965(昭和40年)
1980(昭和55年)
1988(昭和63年)
1989(平成元年)
1992(平成 4 年)
1995(平成 7 年)
1996(平成 8 年)
1997(平成 9 年)
2000(平成12年)
2007(平成19年) |
私立九州高等女学校創立 創立者 釜瀬新平
第1回卒業式挙行(卒業生50名)
慰霊祭始まる
制服が和服(袴)から洋服になる
校歌制定
校訓制定(強く・正しく・優しく)
空襲により全校舎焼失
新学制により九州女子高等学校となる
学校法人 九州学園に改組
創立50周年を迎える
本館5階建落成
学校法人 九州女子高等学校発足 初代理事長 冨好正治就任
海外修学旅行(アメリカ)開始
中国長春第十一中学(高校)と姉妹校締結
5コース制を導入
ニュージランド・エプソン女子高校と姉妹校締結
新校舎、図書館、茶室、食堂、庭園等、90周年記念事業完成
創立90周年を迎える
第二代理事長 福田 量就任
創立100周年を迎える |
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創立者の意思を敬愛し、生徒一人ひとりが
真に力を発揮できる教育環境こそが信頼の絆です。
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明治40年の九州高等女学校設立以来、幾世代もの歴史を刻み、九州女子高等学校は平成19年に記念すべき100周年を迎えました。
めまぐるしく変化する社会情勢のなか、柔軟に対応するべく、豊かな教養を身につけ、人間力に磨きをかけ、心身ともに健康で、有意義な高校生活を過ごしてほしいと願っております。
創設者の精神を受け継ぎ、地域に根付いた伝統を誇りに、環境整備、人材育成、学校教育に取り組み、時代に即した新しい展開を進めていきたいと思います。
●職歴
福岡市医師会総会議長
福岡市医師会看護専門学校校長
福田眼科病院名誉院長
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本校は、来春、創立100周年を迎えました。教育環境に恵まれたこの地で、女子教育の振興と発展に努めて参りました。万余の卒業生の活躍に見るように、創設者釜瀬新平先生の教育理念の実践に尽力し、社会に貢献できる優秀な人材を世に輩出して参りました。明治から平成と目まぐるしい時代の変遷に抗しながら、先進進取の意気は現在に至るまで持続されています。
ハイレベルの進学を目指す一方、部活動の活動も目覚しく、全国にその名を轟かせております。建学の精神の下、品性と思いやりのある人間性豊かな女性の育成を教育目標に掲げ、一人ひとりを大切にし、深く生徒にかかわる教育の実践を合い言葉に、日々邁進しているところです。次世代を担う生徒のみなさんにとっては将来を決定づける大事な選択の時期です。このウェブサイトを熟読され、みなさんの将来に積極的に生かしてください。 |
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